秋山瑞人の話をしよう

※この記事は某discordサーバーの企画用に書いた文章に加筆修正を加えたものです。

 

 

 

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 秋山瑞人の新作が出なくなって、今年で十年が経つ。

 秋山瑞人とは作家で、主に電撃文庫というライトノベルレーベルで本を出しており、いわゆるエタらせているシリーズが三本ある。大分前に「ハヤカワから短編を三本出して短編集にする」というようなことを言っていたが、それも二本しか出さないまま企画が宙ぶらりんになってるので、その企画も含めれば四本エタらせていることになる。
 出版社側の事情とかでなく、シンプルに「書けてない」という理由で、四本シリーズをエタらせている商業作家を、私は他に知らない。はっきり言ってプロとして失格だと思う。
 それでも、私は秋山瑞人の作品が、文章が、大好きだ。愛している。端的に言ってしまえば、私は秋山瑞人の信者である。もし誰かに「秋山瑞人はカスだ」と言われたら、そいつが大統領だろうが顔面が吉沢亮クラスのイケメンだろうが誰だろうが、鼻っ面をぶん殴りにかかると思う。

 私が秋山瑞人に出会ったのは中学生の時だ。今は潰れてなくなってしまった個人経営の本屋で、たまたま「猫の地球儀」の一巻を見つけたのが最初のきっかけだった。「表紙の絵柄が好きだな」と思い、何となくそのままレジに持っていって、家で一巻を読んだ。
 「猫の地球儀」の一巻は起承転結の起と独特な世界観の説明に全振りしているというものすごく攻めた構成をしているので、読み終えた後私は「面白いけど、本筋が全く進まなかったな」という感想を持ち、しばらく放っておいた。完結編となる二巻を買ったのはそれから結構経った後の、たまたま小遣いに余裕があって本屋に立ち寄った日だったような記憶がある。二巻を読み終えた後私は愕然とし、狂ったように「猫の地球儀」の一巻と二巻を読み返した。そして「これだけ面白い本が既にこの世にあるのなら、自ら作品を作る必要などもうない」と、子供の頃から漠然と持っていた作家になる夢を、棄てた。その瞬間のことは今でもはっきりと覚えている。

 この前本棚を整理していたら、「おれはミサイル」という秋山瑞人がハヤカワから出した短編を収録した本が行方不明になっていることに気づき、部屋を捜索しまくった挙句、観念して溜めたAmazonポイントを使って買い直した。「おれはミサイル」は戦闘機と、その戦闘機に装備されたミサイルの物語だ。戦闘機とミサイルだけでどう話を展開するんだよ、面白くなるんか、と思うかもしれない。しかしそこであり得ないほど面白いものを出してくるのが、秋山瑞人秋山瑞人である所以だ。例えばこれは主人公の戦闘機が自身の老朽化した内部システムを参照するシーンの引用である。

IFFを提示して拒絶反射で作られた防壁をくぐると、そこには狂王の命じるがままに増築を繰り返したかのような、神経反射の魔宮があった。まったく意味を成さないループが無限の動力を持つプロペラのように堂々巡りを繰り返し、すでに存在しないアドレスへの参照指示が虚無を指差していた。絶対に成立し得ない条件に縛られた破滅的な内容のルーチンが無数に存在し、それらは次元の狂った鏡の牢獄に開じ込められた怪物の群れに見えた。


 「老朽化したシステムはアホほどバグっていました」で済む一文を、どうしてこんなに表情豊かに描写できるのか。何を食ってたらこんな比喩を思い付くのか。こんなにくどくどと情景描写に尺を割いてるくせに、何故するっと読み進められてしまうのか。本当に意味が分からない。
 秋山瑞人の新作が出なくなって今年で十年が経つ。
 話は変わるが、今年下半期、私はメイドインアビス2期のアニメで気が狂ってしまい、ものすごく久々に二次創作で文章を書くという行為に手を出した。現在の私の社会的ステータスは「無職の病人」なこともあり、大量発生した可処分時間の内大部分を執筆行為に投入するというカスの反則技を使った結果、意外にも九月から今現在までで四本のSSを書き上げることが出来た。作品は以下に収録しているので、もし興味があれば読んでください(突然の宣伝タイム)。

www.pixiv.net



 自分で文章を書いてみて痛感するのは、やはり私は文章を書くという行為においてどうしようもなく秋山瑞人の影響を受けており、しかし秋山瑞人の、あの流麗で絢爛とした美しい文章を書くことは絶対に不可能であるということだ。どれだけ文字を書き連ねたところで、秋山瑞人のように文章を書くことなんか永遠に出来ないんだという事実が、一作ずつプロットを構築し、本文を書き進め、都度加筆修正し、完成させていく度に骨身に染みていく。もし秋山瑞人が新作を出してくれたら、私はまた中学生の時のように完全に打ちのめされて、こんな他人様の作品とキャラクターを借りて作話をするとかいう奇っ怪な衝動をすぐに放り出せると思う。
 全部秋山瑞人が悪い。秋山瑞人が十年も新作を出してくれないからこんなことになってしまったのだ。永遠に秋山瑞人の新作を読んで衝撃を受け続ける人生を送っていたかった。
 何故秋山瑞人は十年も新作を出してくれないんだ。一体秋山瑞人は何をすれば新作を出してくれるんだ。どうして秋山瑞人の新作が出ない世界を生き続けなければいけないんだ。


 秋山瑞人の新作が出なくなって今年で十年が経つ。
 ところで、秋山瑞人がエタらせているシリーズの一つであり、恐らく最もファンの多いであろう作品「E.G.コンバット」の原作者のTwitterによると、「E.G.コンバット」最終巻の企画自体は動いているらしい。しかしそういったことを匂わせたツイートはもう何年も前から発信されているし、何せ「E.G.コンバット」はもう二十三年も続きが出ていないという、秋山瑞人作品の中でも屈指のエタりっぷりなので、私は「E.G.コンバット」の最終巻については「見れたらそりゃ嬉しいけど、期待は出来ねえなあ」というポジションでいるようにしている。十年新作を出していない作家に、期待を寄せ続けていられるほどハートが頑丈に出来てないので。
 一方、二次創作の文章については後何本か書きたい話があるので、しばらくの間は書き続けようと思う。アウトプットしたいという衝動自体もまだあるし、たまに自分の書いた作品にブクマやらいいねやらコメントやらが来ると、部屋の中を飛び回るくらい嬉しくなるのも事実だからだ。
 秋山瑞人には今すぐ新作を出してもらって、私のしょうもない衝動など粉々に打ち砕いて欲しくはある。
 が、少しだけ、ほんの少しだけ、「今脳内にあるプロットの話を全部出し終わるまでは待ってくれ」という気持ちもある。そして秋山瑞人はとにかく新作を出さないので、後者は叶ってしまう可能性の方が高い。
 それが嬉しいのか悲しいのか、今の私にはよく分からない。