ときメモGSプレイログ③ 天之橋一鶴編

switch版で初めてときメモGSをプレイしてる人間の感想です。
今回は理事長こと、天之橋さん編。以下ネタバレです。

※須藤さん周りのネタバレもかなりあります
※今回は攻略対象についてあまりポジティブではない感想も述べているのでご注意ください

 

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ときメモGSプレイログ① 守村桜弥編

落とすか……男……。



ときメモGSを知ったのは、去年蘭たんがGS1のプレイ動画を上げたのがきっかけでした*1。それからGS2のプレイ動画も見て、GS3も見て、自分でもプレイしたくなったけどDS版しかないのか~う~んとなっていたところにswitch版移植の報を受けて、今回ようやくプレイに至ったという経緯です。


そういうわけでときメモGSに関してはド級のにわか、ドニワカではあるのですが新規なりにプレイした感想をぼちぼち上げていこうかな~という感じです。よろしくお願いします。

以下守村君ルートのネタバレです。

*1:本家ときメモの方はRTAinJapanがきっかけでGSより先に知っていました

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2023やったこと

同人誌を出した

 

まあ一番のハイライトはこれですね。やっぱり。
まさか人生で「同人誌頒布」の実績を解除できるとは思わなんだ。今年の上半期の記憶ってもう同人誌の準備とPowerWash Simulatorしかないです。そんなことある?
同人誌出したとはいいつつ、自分の実作業パートは本文製作と事務作業と売るための準備(値札作ったりBOOTH開いたり的なやつです)だけで、あとは他人にぶん投げという片手落ちな感じではあるのですが、結果としてぶん投げてよかったなあと思っています。なんでかというと単純に製品としてのクオリティが自分で全部やった時よりも確実に上がったからです。先日にゃるらさんが「自分の書いた文字を解釈して着飾ってもらうほど嬉しいことはない」と発言しておりましたがこれはマジの話で、テキストエディタとかGoogle docsでいつも見ているヘナヘナした自分の文章をいい感じに着飾って頂けた時の快楽をアマチュアの身分で味わえたというのは僥倖の限りでした。表紙が非イラストの小説本にも関わらず会場で表紙買いしていただいた方もいて、本当にありがたかったです。
とはいえ私個人としては同人誌製作をまだやってない人に対して「同人誌はいいぞ!同人誌出そうぜ!」と勧める気にもならず、なぜかというと同人誌製作という営みにはあらゆるコスト*1がかかりすぎるからです。よくインターネットでは「同人誌を作るのは正気を捨てればできる」という言説が流れてきますがあれは半分フェイクであり、というのも本文を作るところまでは正気を投げるパートとなりますがそのあとの入稿〜出店までのパートで強制的に正気に戻らされるというあまりにも凶悪すぎる罠がしかけられています。あるいは同人誌製作そのものに慣れてくれば全てを狂乱のままにやれるのかもしれませんが少なくとも初めての場合絶対に賢者タイムパートが挟まり、そうなると「いくらなんでもたかが趣味に対してコストをかけすぎていないか!?」という自問自答が発生しメンタルのヘルスに非常によくない。よくなかったです。自分の場合サンプル公開のタイミングでTwitterが凍ったこともありマジで賢者タイムを通り越して完全にメランコリーになってしまい、TV版終盤のアスカみたいになってたらなんかゴールデンウィークが終わっててワロタという感じでした。あれ本当に人生一無駄なゴールデンウィークの過ごし方だったな……。

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というわけで、今年6月に頒布した二次創作同人誌「みはるかすかなた」は絶賛BOOTHにて販売中です。来年も売っております。再録集ではありますが書き下ろしのSSと、既存作へのゴリゴリの加筆修正と、結花ちゃんのかっこいい装丁と、自分のワズキャンとベラフへの想いの丈をめいっぱいに詰め込んだ一冊です。あと本編には特に関係のない謎の怪文書も入っているという噂があります。不手際により表紙裏表紙が折れてしまっているのですが、その分ディスカウントしておりますのでよろしくお願いします。

momocan-poe.booth.pm

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ゲームをやった

 

やりました。といってもPowerWash Simulatorと世界樹の迷宮がメインでそんなに数をこなしたわけではありませんが……。
PowerWash Simulatorは元々恐山さんの配信で見て「やりてぇ〜」と思っていたのですがPCのスペックが足りず、しょげていたところにswitch版配信の知らせが来て配信初日に買いました。PowerWash Simulatorのいいところは文字情報がほとんどないのでろくすっぽ脳みそ使わないで済むところです。おかげで校正作業でヘロヘロになっていた時でもお手軽に現実逃避することができました(眼球はバキバキになりました)。パーツを全部洗い終わった時の「チーン!」って効果音も良い。世の中全てのタスクをこなした時あの音なって欲しい。有料DLCも全て買っており、元ネタに触れていないため仕込まれているであろう小ネタが一切分からないままスポンジボブの家を水洗いするなどしました。今後もアップデートが来るならもっと悪意がすげえマップが来てほしいです。よろしくお願いします。
世界樹の迷宮HDリマスターもやりました!といっても表クリア(しかもⅢは海都ルートのみ)だけですが……。このシリーズもなんだかんだ延々とプレイしており*2長年に渡る胎動なども見ていたので今年派手に再稼働してくれてありがたかったです。
ⅡとⅢはプレイ済でしたが十数年前ぶりにプレイすると以前は全く解けなかったFOEパズルが解けるようになっていたり、それはそれとしてレンジャーのフォーススキルはバグが解消されても想定よりは敵の攻撃を避けられずブシドーが死んだりなどし、大変楽しくプレイできました。いいんだよレンジャーは敵の先制封じとアザステができるからそれだけで……。
無印はHDリマスターにて初プレイをしたのですがあまりに高すぎる雑魚のエンカウント率、あまりになさすぎる抜け道、対策が一切できないダメージ床、バランスのいいPTを強調する割にFOEのソロ討伐を要求してくるギルド長のクエストなど、なんというかその後のシリーズできちんと調整されている部分を素材そのままでお出しされた感があり、色々な意味で味わい深かったです。でもswitchの綺麗な画面で5層のグラフィックを見ることができたのはよかったな。これはシリーズ全部に言えることではありますが……。
あと地味に一番嬉しかったこととしては職業のグラフィック縛りがなくなったことですね。今までグラは好きだけどこの職業使うつもりないんだよなあ~みたいなことが多かったのでこれは本当に嬉しかったです。おかげでキャラメイクが大変はかどりました。変な設定の奴も作りやすくなり、例えばⅠではメディックに新ダークハンターのグラフィックを充てて「緊縛プレイがの才を極めた結果人体の治癒を出来るようになったSM嬢」という設定をやったりしていました。でもⅠって一番本編がシリアスだから正直4層のあたりでこんな設定でやっている場合か?となったりもしましたが……。
この二作以外だと一番入れ込んだのは「ファミレスを享受せよ」で、あまりに面白くて攻略チャートを同人誌製作の息抜きに作ったりしていました。結果として弊ブログで一番アクセス数の多い記事となりました。ありがとうございます。switch版もプレイしたのですが、会話も増え、さらにクリア後に見られるおまけがキャラ萌えごころをくすぐる仕様なので無料版をプレイした人も是非やってみてください。
あと何気に人生初TRPGに参加しました。TRPGといえば確定申告ぐらいなんか色々書かなきゃいけないものがあるでお馴染みなのでなかなか敷居が高かったのですが、「我らが王の身罷りて」という割とアドリブ性の高いゲームだったおかげで低ハードルで参加出来ました。誘って下さったGMの方、他PLの方ありがとうございました。

 

これはその時クリエイトしたキャラクターのヨナル=ヘジンさんです。この時「テスカトリポカ」にドハマりしていたので(今年一番読んで面白かった本でした!)、名前がモロにアステカ神話の方のテスカトリポカ由来になっております。性格も「テスカトリポカ」のバルミロぐらい振り切ったやつにしてやろうと思ったのですが諸々の関係でもっとちゃんとした人になりました。よかったですね。最後めちゃくちゃ戦争に巻き込まれていましたが……。

 

 

ライブに行った

 

ぼちぼちと行きました。今年は開催規模が大きめのライブに足を運ぶことが多かったので、結果としてやたら横浜に行っていたような気がします。STUDIO COASTも気がついたら横浜に移転していたし、一体横浜の何がライブ会場たちを惹きつけているのでしょうか。誰か有識者がいたら教えてください。

今年はやっぱり声出しが解禁されたのが大きく、コーレスができなかった曲たちがちゃんとコーレスできるようになったので皆前よりライブがやりやすそうだな〜と思いました。コロナ禍に発表されてコーレスがないままになっていた曲に、新たにコーレスをつけようとアーティストが頑張ったり客の方が試行錯誤している感じもそれはそれで趣深かったです。

色々な意味で印象的だったライブはスピッツのひみつスタジオツアーです。感想はmisskeyの方に書きました。他だと年納めで行った世界樹の迷宮ライブでしょうか。チケットの種類の中に「FOEペンライト」なる謎グッズがついてくるやつがあったのですがお客さんのほとんどがその券種を選択したらしく、会場いっぱいのオレンジもやもやが曲に合わせて揺れている様は壮観でした。

あと会場オリジナルドリンクがゲームで出てくる回復アイテムの名前になっている小粋なおもてなしなどもあり、喜んでアムリタ(いちごシロップ+はちみつレモン)を注文しました。めちゃめちゃに甘かったです。よくアムリタをガブ飲みさせて大技を連打し強敵に勝つ戦法を取ったりしますが、そんなこと(アムリタガブ飲み)を実際にやったら口の中がベタついてしゃーないと思います。よもやライブでゲーム内の冒険者たちの解像度が上がるとは思わず嬉しいサプライズでした。

 

一気飲みすると甘味が来ますがチビチビ飲む分には美味しかったです

あまちゃんとプリリズRLを見た

 

どちらも気になっていながらも視聴の機会を逃し続けていたので、今年見ることができてよかったです。版元の人たちありがとうございます。
まずはあまちゃんの方ですが自分はなんとなく朝ドラには裏ルールがあると思っていて、というのは「何話か見逃しても話についていくことができる」という原則の元作劇がされている雰囲気を感じることがあるのですが、あまちゃんはこの朝ドラ法定速度的なものを完全にぶっちぎった作りになってんなあと思いました。結構1話の中で重要な設定が開示されることもままあり、毎日15分ながら見ではなくきちん視聴しないと本筋が分からなくなる仕様というのは朝ドラという枠を考えると大分チャレンジしているのではないでしょうか。
とはいえ全体的な情報量の多さに反し大筋としては夏ばっば-春子-アキの親子三代のラインが話としてしっかり一本軸になっていて、そこさえ見失わなければドラマの一番大事な部分にはちゃんと乗れるようにしてあるのはスマートだなあと思いました。自分は先行していだてんを見ていたのですが、いだてんとあまちゃんは割とやっていることが共通しつつもいだてんの方は情報量も多さに加えて登場人物の視点もいっぱいあったので……。どっちの作品も好きですが。
あとはやっぱり劇中歌のエモで押し切る腕力が強めで、これは後続の朝ドラにも脈々と受け継がれてるな~と思いました。それこそ今やってるブギウギなんかもそうですね。逆にあまちゃん以前で劇中歌に力を入れていた朝ドラってあるのかな。

一方プリリズの方はかなりの変化球というか、まず序盤のキャラの好感度を持たせてやろうという気が一ミリもねえ話運びとか、とにかくトラブルが発生する原因も解決するきっかけも全部気持ちの問題になっているところとか、その結果として全体的に演出がクドいところなど、めちゃ面白いな~とめちゃ人をふるいにかけてくるな~が交互に津波のように押し寄せてきました。配信で一気に見たから余計そう感じたところはあるかもしれません。ドハマりする人が出てくるのも分かるし皆に見てもらいたくなる気持ちも分かるけど、万人のストレートを射貫けるかというとどうかな……と思いながら見ていました。
この「人を選ぶタイプの面白さ」感、なんか既視感がある……と思っていたのですが、もしかしたら大河ドラマ平清盛に近いところがあるかもしれません。特にジジイの色欲が原因で様々な問題が発生しているところなどおんなじじゃ~んと思いながら法月仁の解説を読むなどしていました。なぜニチアサ女児アニメと大河ドラマを並べて語っているのか自分でもよく分からないのですが、とにかく自分の中でこの二作品は同カテゴリです。プリリズRLと平清盛、絶対ほぼ視聴者層がかぶっていないのですがどっちかだけ好きでどっちかを見ていない人はこの機会にもう片方を視聴してみてもいいのではないのでしょうか。ちなみにプリリズは一話20分ぐらいなので全話見ても0.5清盛ぐらいの長さです。

 


以上です。
来年も実生活をやったりやらなかったり、趣味をやったりやらなかったりしようと思います。とりあえず2月にやるENDRECHERI主催のライブに当たったので今からテンション爆上がりです。あとときメモGSシリーズがswitchに来るらしいのでこれもプレイしたいな~と思っています。ヤバ好しまくってすごい声帯と性格の男たちをデロデロにするぞ~。

 


今年一年、皆様大変お世話になりました。誠にありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。
最後に唐突に今年のトムブラウンの敗者復活戦の動画を置いてブログを終わります。準決勝でこのネタを見た時から脳内でロンリーチャップリンが無限ループしています。一体どうしてくれるんだ。皆さんもぜひ同じような目に遭ってくれると幸いです。さようなら。

youtu.be

*1:金、時間、体力、気力、etc

*2:セカダンはやってないですが

2023酷暑

この記事を書いている時期的には残暑と書くべきなのかもしれないが、この暑さを残暑と表現するのはフェイクだと思うのでタイトルはこれである。


なんだかんだ言って、去年の九月から月一くらいで何らかの文章を発表していた(していなかった月は同人誌を作成していた)。
先月はニディガとジャンバケという、およそファン層が被ってないであろうクロスオーバーSSをpixivに投稿した。ちなみにこれはジャンプラの休載イラストにより黎明くんが完全にオフの時には両目が見えることが明らかになり、超てんちゃん(あめちゃん)と逆だな、あと二人とも顔出しで配信やってるな、と思ったところから着想した作品である。
今月も何か書くつもりだった。書いた。あるウェブの、規定が緩めの、特定テーマにそって皆で一次創作を書きましょうみたいなやつに、それを投稿するつもりだった。先日書き上げて、ふと、そういえば〆切っていつだっけ、と思って規定を見たら余裕で一週間以上過ぎていた。これだから。
己の愚かさをオープンインターネットで嘆いてもしょうがないが、書き上げたブツをどうすべきかは悩みどころだ。レギューションの緩さに乗じて相当変なことをやったので、なんというか、どの媒体にも発表の場がない。可哀想だからどこかで日の目は見せてやりたいのだが。


先日ようやく「君たちはどう生きるか」を見た。
ネタバレを踏まないよう注意はしていたが、tweetdeckが死んだり、ジブリが何カットか場面写を発表したりした影響で、いくつかのネタバレを踏んでしまっていた。踏んだネタバレは「ファンタジーものである」「ポスターの鳥はオッサンになる」「そしてそのオッサンは、菅田将輝の声で喋る」の以上三点である。
その前提知識だけ持って映画を見たのだが、冒頭のシーンからはビックリするぐらいファンタジーの気配はない。騙されたかと思って不安になる。婆さんの群れがぬるぬると出てきた辺りで、あ、ファンタジーになるかも、と思って少し安心する。アオサギが出る度に気を取られる。お前はいつオッサンになるんだと画面を注視し、変容の気配が出る度に身構える。
そんなことをしていたので、なんというか、ちゃんと作品に没入できたのは中盤以降だった。やっぱりなる早で見に行けばよかったな。すでにもう一度見たくなってるし、現実問題、もう宮崎駿監督の映画が大スクリーンで見られる機会ってそんなにないかもしれないし(リバイバル上映とかはあるかもしれないが)。
作品自体の感想はといえば、過去のジブリ作品の怒涛のセルフオマージュにも面食らったが、眞人が割とクソガキだったのが良かった。石で自分を傷つけたくだりもそうだが*1、義母の見舞いついでに部屋からタバコをパクり、そのタバコで爺さんを懐柔して、武器を自作するところなんかサイコーである。そしてそれを見ていた屋敷の婆さんはその行為を咎めるでもなく、「本物の弓矢が欲しくないかい」と眞人をそそのかしてタバコをもらおうとする。一連のシーン全てがコンプライアンスの概念から二億キロくらい遠くにあり、大変良かった。やっぱ戦前ってこうでなくっちゃ。
ファンタジー世界に入ってからのあれそれに何らかのメタファーを見出だす派もいるが、自分はとりあえず地であの訳の分からなさを楽しんでいたい。でもオモコロウォッチの解釈はそれはそれでよかった。三人が要所要所で映画を全く宣伝しないことによる機会損失の大きさに思いを馳せるところが、なんというか、オモロに全振りしているように見せかけて、広告の世界に所属する人々なのだという地が透けており、何とも言えない気持ちになる。この回もだけどオモコロウォッチはたまに本質的な話になる時があって、その時は結構本気で聞き入ってしまう。一番面白いのは尿周りのニュースの話してる時だけど。これとかこれとか。


先日、『「逆張り」の研究』という本を読んだ。逆張りから生まれた逆張り太郎を自称している以上、このタイトルは見逃せなかった。そこは順張り。
とはいえ、本書の半分くらいはここ十数年のツイッターの政治的部族主義の加速っぷりを列挙しているだけで、「研究」という感じはあまりない。まあまえがきで「論文ではなくエッセイ」と断りがあるものの、ややタイトル詐欺感は否めない。ただ、残りのエッセイパートは実に面白く読めたし、共感できる部分も多かった。以下は特に良かったところの抜粋である。なお、一パート目は異様に長いが、これは途中で端折ってしまうとダメだと感じたので、そのまんま引用させてもらう。

 この耐えがたさをうまく理屈にするすべがぼくにはないので、大多数の読者にはわからないと思う。ぼくもわかってもらおうと思ってないので、以下の言葉は感性の違いなのだと聞き流してほしいが、資本主義社会から安心、尊敬、信頼される人間になる耐えがたさとは、あらゆる安心尊敬信頼がお金に換算されてしまう耐えがたさであり、働く大人の昼ごはんを紹介するテレビ番組が経営者のランチばかりを紹介する耐えがたさであり、社長の手料理を食べさせられる社員の微妙な表情が映し出される耐えがたさであり、世界的なアーティストたちが京都の料亭で会食してこれからは肉食を減らしていこうとうなずき合う耐えがたさであり、大企業の創業者が接待と称して吉野家の牛丼を食べさせることがあたかも美談として語り継がれる耐えがたさであり、この耐えがたさがわからない人間は総じてクソだがなんの屈託もなくソーシャル・ビジネスとか宣う恥知らずがご高説を垂れる耐えがたさであり、新自由主義に抵抗するためケアする配慮する勇気づけるエンパワーメントする贈与するという利他を説く大学の先生が世に送り出す学生は企業にぴったりの資本主義社会から安心信頼尊敬される人材である耐えがたさであり、毎朝決まった時間に起きて同じ時刻の通勤電車に揺られるがいつ帰れるかはわからない耐えがたさであり、住民税が払えずに給付金が支給日にサシオサエとして引き落とされる耐えがたさであり、年収が足りず保証人もおらず住処が見つからないまま退去の期日が迫る耐えがたさであり、大型トラックが行き交う道路で若い野良猫が轢き殺される耐えがたさであり、精神状態は経済状況に左右されるから患者に障害年金を取得させることが年金療法と精神科医に裏でささやかれお金でうけた傷は結局お金で癒されるしかない耐えがたさであり、このような耐えがたさから逃れることは容易ではなく毎日その耐えがたさのなか糊口をしのがねばならない耐えがたさである。

 

 

 読者を納得させる理屈が思いつかないので、わからなければ感性が違うんだと聞き流してほしいが、「盗人にも三分の理」と言うときの三分の理みたいなものにどうしてもひかれてしまう。遊び人、怠け者、ならず者、不届きもの、タダノリする奴、フリーライダー、ごまかすひと、一貫性がないひと、恩知らず、だらしないやつ、起きられないやつ、座ってられないやつ、働かないやつ、すぐ怒るやつ、すねるやつ、勉強できないひと、粗暴なやつ、モラルがないやつ、努力しないひと、反省しないひと、損得勘定のないやつ、借金を踏み倒すやつ、他人の話をまったく聞かないやつ、逃げるやつ、誠実さがないひと、でたらめをいうひと、不審者……みたいな社会から安心、尊敬、信頼されないひとにどうしてもひかれてしまう。
(中略)
 誤解しないでほしいのは、いわゆるヤクザといった「アウトロー」にはあまり興味がないのだ。日本で一番大きなヤクザの山口組トップが、(中略)「反社」と呼ばれることをすごく嫌がったという話がある。裏社会を仕切っている点で、あくまでも社会の一員として貢献しているわけである。しかも、そういう集団は表の社会に対抗しようとして、社会の悪いところだけを煮詰めたような、もう一つの社会を作ってしまう。
(中略)
 表と裏のどちらの社会からも安心、尊敬、信頼されない人々、本当の意味で反社会的なひとに興味があるわけだ。そういう社会から逸脱してしまう人々を社会に連れ戻して適応させる試みにはなんの興味もない。とはいえ、それは別に限られた人の話というわけではない。誰しもそれなりに社会に反発する部分を抱えているが、うまく誤魔化しながら、日々の生活を送っている。そう思っているのだが、どうだろう?

 


著者は「資本主義社会から安心、尊敬、信頼される人間になる耐えがたさ」を「わかってもらおうと思ってない」と述べつつ、「誰しもそれなりに社会に反発する部分を抱えているが、うまく誤魔化しながら、日々の生活を送っている」と仮定しているが、私の目線からすると、いやむしろ皆こぞって「資本主義社会から安心、尊敬、信頼される人間」になりたがってるよなあ、と思う。今、状況的に福祉を利用する場面が多いので、とりわけそう感じてしまう。とにかくゴールテープが「社会から安心、尊敬、信頼される人間」に設定されていて、そこへ向かって歩かされてしまうのだ。私は快復はしたいけど、「社会から安心、尊敬、信頼される人間」にはなりたくない逆張り太郎なので、福祉を利用するとしばしば致命的なズレが発生する瞬間がある。これが辛い。作者が言う通り、そういう風に生きることこそが幸福への最短ルートだからこそ、皆親切丁寧にレールを敷いてくれるのだろう。それがより耐えがたい。
これ以上思考を進めるとそろそろオープンインターネットで話せる領域を逸脱する気配が濃いので、ここで唐突にこの話は終わる。一体いつになったら夏は終わるのか。一体いつになったらちいかわの島編は結末を迎えるのか。島二郎は一体何なのか。分からない。半年後ぐらいにセイレーンのぬいぐるみと島二郎グッズが出るのは分かる。

*1:ここは色んな解釈があるっぽいけどとりあえず自分は「学校なんかより謎の屋敷とアオサギの方がよほど気になるので行かなくて済む口実を自演した」という風にとらえた